歌舞伎座こけら落とし

勘三郎の次は団十郎。まるで重要なカードから順番にとられていくような歌舞伎界。歌舞伎に熱中していたのが十代の頃なので、未だに当時の若手が私にとってのスター。このところ、帰国しても観たくなるような座組と演目の歌舞伎がないと思ってましたが、ますます観たいものがなくなるわけです。
これだけの人柱の上に建つ歌舞伎座。器だけ新しくしちゃって大丈夫なのか松竹?とりあえず団十郎の代役はどうするんだろう?と演目をチェックしてみました(日本に行く予定はないのでどうせ観ることはできませんが)。歌舞伎座さよなら公演も何ヶ月もひっぱって稼いだ松竹ですが、こけら落としも4月から6月まで3か月。しかも3部制で演目少ないのに料金は1等席が20000円!そのわりにはこれじゃ完売できまい、と思う地味な演目と配役の回もあり(5月の第一部、6月の一部、二部)。
で、配役を見ていて気づきました。三ヶ月も杮落とし公演をやりながら、猿之助一門がまったく出ていない。おもだかや一門はどこか他で襲名披露で稼いでくださいってことか。中車はともかくとしても、人気や話題性からいって1ヶ月くらいは新猿之助を出すのが観客サービスというものだろうに。30年前とちっとも変わってない仲間はずれ状態。
それにしても、松竹いわくどれも当代一の配役だそうだけど、勘三郎がいないと演目も配役もとてもさびしい。さらに団十郎をぬくと、歌舞伎から最も歌舞伎らしい人が欠けてしまったのだということが実感される演目になっています。
で、気をとりなおして代役予想。あまりにも可能性が限られているので予想ってほどのこともないのが悲しい。
4月第一部「鶴寿千歳」これはともかく格付けが第一だろうから菊五郎か吉右衛門。(相手役が藤十郎だから関西系の仁左衛門はなかろうということで)
第二部「白浪五人男」の日本駄右衛門は吉右衛門(もしかすると仁左衛門)
5月第一部の「三人吉三」の和尚吉三も吉右衛門、第三部の「石切梶原」の大庭三郎は幸四郎。
6月第二部の土蜘蛛の源頼光は吉右衛門(もしかすると梅玉)。第三部の「助六」はお父さんの追悼演目ということで海老蔵。
ところでこの海老蔵、団十郎死去のニュースのインタビューに答えて「(団十郎が)愛のあるかたでいらっしゃいました。」「(団十郎が)おっしゃっていました。」といくらなんでもな敬語を連発。こんなときだから、これをどうこういう人もいまいけど、30過ぎのいい年になるまで誰も教えてやらなかったのはなぜだ?1.市川宗家御曹司に注意するのはおそれおおい。2.わざと教えてやらない。3.逆切れするかもしれないから(さわらぬ神にたたりなし)。このまま市川宗家当主になるんじゃ本人にとっても歌舞伎にとっても日本にとっても不幸だ。誰か言ってやってくれ。

瀕死の王

5/30/2009
 イヨネスコのExit the king(瀕死の王)を観て来ました。なんだか今月のブロードウエイは不条理劇月間のようで、ストレートプレイのメジャーな舞台が2つとも不条理劇。前の日記に書いたゴドーは20年ぶりの上演でしたが、こちらはブロードウエイでは40年ぶり以上だそうで、景気が悪いと不条理劇が流行るんでしょうかね。
 王様がジョフリー・ラッシュ、第一王妃がスーザン・サランドン、若い妃がローレン・アンブローズ。ゴドーはソルドアウトでしたが、こちらはかなり空席があり、半額チケットにも出ていました。芝居としてはゴドーよりずっとエンターテイニングにできあがってるんですが、ゴドーに比べると戯曲としての知名度がぐっと低いからでしょうか。
 チャールズに誘われて、どれどれと検索してみるまで、私もまったく知りませんでした。当のチャールズも芝居オタクなわけではなく、観にいった人にジョフリー・ラッシュがすごくよかったよ、と言われただけのことでイヨネスコなんて名前しか知らないという点では私と同じ。おそらく多くの観客が同じだと思われます。
 それを見越してなのか、ゴドーのようなストイックな演出ではなく、舞台の仕掛けも派手でコメディタッチの強いつくりになっています。評判にたがわずジョフリー・ラッシュが大熱演の大サービス。ジョフリー・ラッシュは映画のシャインでしか知りませんでしたが、もともとパントマイマーだったのだそうで、なるほどと思う身体の使い方です。なんとなく勘三郎を彷彿とさせる雰囲気でした。スーザン・サランドンもそのまんまで適役。
ゴドーよりも具体的なストーリー展開があるので台詞の英語を理解するのに四苦八苦するということもなく楽しめます。テーマが出口なしの死ですから、暗くてやり場のない話にはちがいありませんが。
一番安いバルコニーの後ろで観たのですが、こういうものならオーケストラで観ればよかった(王様が客席を歩いたり、コクーン歌舞伎みたいな観客サービスがいっぱいある)。
 

ゴドーを待ちながら

5/11/2009
 ブロードウエイのWaiting for Godot(ゴドーを待ちながら)を観てきました。エストラゴンにネイサン・レイン、ウラジミールにビル・アーウイン、パッツォがジョン・グッドマン、ラッキーはジョン・グルーバー。ニューヨークでは80年代末以来20年ぶりだそうですが、ソルドアウトの人気でした。
 実は私はゴドーの舞台を観るのは初めてです。あらすじは知っていますが(あらすじっていってもなあ、ですが)、戯曲を通して読んだこともない。が、何かにつけて引用されることが多いので、いつか見たいと思っていました。
 で、先に脚本読んでおけばよかったとちょっと後悔。わけのわからない話で、わけのわからない台詞が満載なので英語を追うのに神経が行ってしまいます。2時間以上を飽きずに観られたわけですから、それなりにおもしろくできていたのだと思いますが、全体の印象としてはネイサン・レインの一人舞台。
 それにしても、ちょっと意外だったのはこんなにも反キリスト教的な芝居だったのか(ベケット本人の意志は別として)ということです。ベケット本人はGodotはGodを暗示するつもりはなかったと(ベケットはアイルランド人ですが原作はフランス語)不満だったらしいのですが、英語圏の人間が見れば、どうみてもGod。しかもGodotをGodにしてラッキーがキリスト教徒で男の子がエンジェルと考えれば、きれいに図式ができすぎてしまうので危険です。しかも、20年ぶりの上演が今。クリスチャン大国であったアメリカで急速に宗教離れが進んでいる中ですから、よけいにわかりやすすぎます。たぶん、これはベケットが一番観てほしくなかった見方なんだろうなあ、と思いつつ考えはついそこに行ってしまいます。
 ですから、とても暗い。じんわりと暗い。アメリカには進化論を本気で否定するキリスト教徒も驚くほどたくさんいますが、反面、いったん宗教を離れると完全な無神論者になりがちです。無神論者というのは、たとえ神の有無の論争でキリスト教信者に勝てても代替の救いがあるわけじゃないので、どう転んでも底なしの絶望感しかありません。「人生には2つの生き方しかない。人生の意味を自分で考えるのを放棄して宗教にすがるか、人生に意味なんかないってことを認めて生きるかだ」(誰が言ったかは忘れた)という言葉を思い出しました。
 キリスト教がそもそも否定されるほどに確立されていない日本での舞台はどういう印象のものだったのか見てみたいと思いました。もうちょっとほのぼのした雰囲気に仕上がってるんじゃないか、というのが予想なんですが。
 

七三花横

1/15/2009
 今回は短期間な上、あれこれ手続きもあって忙しいので観劇予定はありませんでした。歌舞伎座の演目すら知らない状態で。でも、ちょっと何やってるかだけ見てみようかなと、ついでにどれくらい売れてるか見てみましょうとチケットウエブをサーチしたら、なんと4列目8番(花道七三の真横)が出てきました。
演目は「曽我の対面」と「鏡獅子」と「猿源氏」。花道七三(花道全体の長さの前から三分七分のところ)の見せ場がいっぱいあるはず。思わずクリックしてしまいました。
日程を選ばなければ、直前にサーチすると、こういう戻り席(関係者がキープしていた席が直前になって余って出てくる)に当たる確率は結構多いのですが、ここまで良い席は初めて。
 よかったのは勘三郎の鏡獅子。この人の踊りは、まあ、きれい、というのではなく、踊りとして面白い。何がどうって言われると困るのですが、観れば歌舞伎初心者でもわかります。ただ時々ドスコイな感じになるのが難点。で、さらにいいのが後シテの獅子になってから。これもうまく言葉で説明できないけど。あと胡蝶で出ていた仁左衛門の孫がとっても達者でかわいかった。将来が楽しみ。最初にちょっと出るだけですが、大好きな吉之丞が老女で出てきたのも得した気分。華のある老け役という不思議な存在です。
 十代の頃から歌舞伎を観ていますが、こういうかぶりつきの席(花道横だと、役者が花道にいる時は1列目から舞台を観る時以上に近い)で観るのは25年ぶりくらいです。で、しみじみ感じたのは役者の年齢。白塗りの化粧っていうのは、ある程度の距離で見ると年齢を感じないですむのですが、下から照明を浴びたのを真下から見上げると肌のたるみやちりめんジワがものすごくはっきりわかります。
 かつて熱心に歌舞伎を観ていた頃は私も若かったけど役者も若かった。その頃から20年以上のブランクがあるので誰も彼も私の中のイメージでは若手のまま(私自身だって、自覚イメージはもちろん若手だ)。が、出演者勢揃いみたいな配役の「曽我の対面」では、かつての若手の子供たち(菊之助、染五郎)が一緒に並んでるので、現役若手と元若手の差がくっきりと。それにしても菊之助はきれい。お父さんの若い頃よりずっときれいだと思う。
 おそろしいほど老けたのが梅玉と魁春兄弟。とくに魁春は手や顔が常に小刻みに震えていて、いったいどうしたのかと思うほど。化粧が晩年の歌右衛門に似てるせいもあって、あごをつきだした姿勢とか歌右衛門そっくり(似てるのは形態だけだけど)。
「猿源氏」の玉三郎は、舞台奥からの出の瞬間は、あたりを払う水際だった美しさ。このあたりはさすがです。ちなみに年齢は魁春とほとんど変わらないはず。美しさに対する並々ならぬ執念を感じさせます。
 が、幕切れでいよいよお楽しみの花道七三になると、さすがの玉様にも隠しようもないたるみとちりめんジワが。かつてはどんだけ近寄っても、というか近い席で観るほどその完璧な美しさが確認できたものですが、なんか見てはいけないものを観た気分。玉三郎の後援会ルートで切符を入手すると花横や最前列は絶対来ないで、センターとちり席になるそうですが、しみじみ納得したのでした。

ジェイコブス・ピロー続き

8/23/2008
 さて、間があいてしまったけど、前回の続き。ジェイコブス・ピローのダンスです。先週末は大きい方のシアターがサンタフェ・バレエで、小さい方のシアターはKate Weare CompanyとMaureen Flemingの2本立て。私が観たのは、後者、2本だての方。
 名前から想像できるように、小さい方のシアターは小規模なダンスグループの公演となってるんですが、それでも観客は結構年齢層が高い。観客の中心がシニアカップル。アメリカのモダンダンス発展期が彼らの若い頃と重なっているからなんでしょうか。日本のモダンダンスじゃありえない客層です。
 熟年中年カップルに混じって若いカップルやゲイカップルがチラホラとという感じですね。大半は妻やガールフレンドに連れられてきているにせよ、客席男女ほぼ同数というのはいかにもアメリカらしい。男の観客が半数というのは、モダンダンス業界を支えるには結構なことなんですが、あまり嬉しくないのは前に180センチ前後の男が座る可能性が50%近くあるってことです。比較的見やすい傾斜がついている客席だからいいようなものの、これが歌舞伎座だったら悲惨。今回は、180センチ以上の男と180センチ近い女の大柄カップルが前に座って大はずれ。ブースターシートがほしい。
 で、ともかく肝心のダンスについて。Kate Weare は、いかにもアメリカの最近のモダンダンスらしい、身体をめいっぱい使ったダンスで大変おもしろかったです。無音の部分がけっこうあるんですが、これがなかなか見もの。男女のカップルの動きなんですが、まるで早まわしの武道の組み手。私は、無音のダンスというのは好きじゃないんですが、こういうダンスの動きそのものでリズムをつくりだしているものを見ると、音楽がなくてもダンスが成立するんだということがわかります。ところどころで身体がぶつかり合ったり、相手を叩いたりする音が打楽器のようなリズム効果にもなっています。ちょっとでも相手とリズムがずれたら危険そうな激しい速い動きで、相当長いこと無音でやってるのは見事。
 私のダンスの好みは偏っていて、とにかくちゃっちゃっと動いてくれなきゃいや(動いてりゃいいってもんでもないけど)、心地よいリズムを刻んでなきゃいや。というわけで、パンフレットの解説にアメリカきっての舞踏ダンサーとあったMaureen Flemingは、2本立てでなきゃまず観ないタイプのダンサーです。見る前からすでに?だったのは、パンフレットにあったスチール写真。まるで化粧品かなんかのコマーシャル写真。きれいすぎる。(どっちのダンサーもJacob’s pillowのウェブサイトで短い映像を観ることができます。
http://www.jacobspillow.org/festival/at-a-glance.asp 
スケジュールのAugust 17のところをクリックオープンするとKate Weare Company & Maureen FlemingのSee videoのタブが出てきます。)
 で、舞台もそのまんま。全裸でほとんど動かないところが舞踏ってことなんでしょうかね。それは美しいボディで、身体がすごく柔らかいので、いったいどうなってるのか不思議な状態になったりはするんですが、これで舞踏っていわれてもなあ。大野一雄に師事とあるんですが、いったい何を習ってきたんだか。このこぎれいさは、アメリカらしい舞踏のインタープレテーションともいえますが、ダンスとしてはきわめて退屈。
 前に座っていた熟年カップルの感想「very unusual」。一緒に行ったチャーリーは「僕は飽きはしなかったよ」と言っていましたが、「じゃあ、あれが男のダンサーだったらどうよ」ときいたら「飽きる飽きない以前に噴飯もの」だそうです。1回大野一雄のビデオでも見せないと。

ジェイコブス・ピロー・サマーフェスティバル

8/19/2008
 週末にJacob’s Pillow Danceに行ってきました。Tanglewoodのモダンダンス版という感じのサマーフェスティバルで、モダンダンス界では大変有名であることを知ってはいたのですが、これまで実際に行ったことがありませんでした。
 で、ニューヨーク郊外に引っ越して15年、これまで行かなかったことを後悔しました。モダンダンス・ヘブンです。場所はマサチューセッツのバークシャーでボストン交響楽団の夏拠点タングルウッドから20分くらいのところ。車以外のアクセスがないのが難点ですが、行ってみたら我が家から2時間強。考えようによってはマンハッタンに行くより楽なのでした。
 ジェイコブス・ピローは、山の中のニューイングランドの中にあり、建物はファームハウスを改造したような趣。アンドリュー・ワイエスの世界です。こぶりのモダンダンスシアターが2つあり、夏の間はそれぞれに週がわりで公演がかかります。その他に野外ステージがあり、ここでの公演は入場無料。この野外ステージのセッティングは感動的な美しさです。説明するよりウエブサイトで写真を見たほうがわかるかも。
http://www.jacobspillow.org/home/inside-out-artists.asp
モダンダンスという業界のサイズを反映して、タングルウッドにくらべるとずっとこじんまりしていますが、かえってインティメイトでいい感じです。あと、ダンスのビデオアーカイブや書籍を勝手に見ることができる資料ルームもあります。当然ですが、現役ダンサー、修行中ダンサー、元ダンサー、アマチュアダンサー、その他いろいろなダンス関連の人々であふれています。その人たちが、ダンスに浸ってられるのがうれしくって仕方ないというオーラを発しているのが、すごくいい。ダンスが好きな人なら1日いても飽きません。
 ジェイコブス・ピローはテッド・ショーンというダンサーによってもう70年以上も前に設立されていて、サマー・フェスティバルの歴史もかなり長い。小ぶりとはいえ、2つの劇場は満席、野外コンサートも人がいっぱい。ダンス業界以外の普通の観客がそれだけいるわけです。こういうところは、アメリカのパフォーミングアーツの層の厚さを感じさせます。
 で、公演そのものについては、次につづく。

続き

12/9/2007
観劇第2弾は、クリエシアター杮落しの三谷幸喜「恐れを知らぬ川上音二郎一座」。実はこの手の商業演劇を見るのは初めてに近いのですが、これは、なかなかとれないお宝チケットを友達がとってくれたもの。なるほど、三谷作品っていうのはテンポのいい面白い芝居じゃないか、と思っていたら後半腰砕け。でも、とにかく役者がいきいきしてます。
週末は越後湯沢に続いて、大学の古代国文学ゼミ仲間と飛鳥にセンチメンタルジャーニー。みんな変わらないけど、飛鳥には四半世紀のときが確実に流れていて、やたらと整地されてて囲われてお金をとるようになっていました。でも、昔からの友達ってほんとにいいものです。飛鳥も、それなりの酒どころですが、ここの原酒は私には今ひとつでした。
帰りに神戸の友人宅に立ち寄って、とめてもらいました。お好み焼きのチェーン店でごちそうになったのですが(粉もんや)、このお好み焼きがすごく美味しかった。東京のお好み焼きとはぜんぜんちがいます。山芋たっぷりでふわふわ。
東京に戻って翌日は観劇第3弾。歌舞伎座12月夜の部。ここ数年玉三郎を観るチャンスがあってもがっかりさせられてばっかりでしたが、今回は面白かった。「ふるアメリカに袖はぬらさじ」。歌舞伎としてかかれた戯曲ではありませんが、面白かったのは、最近に珍しく役者の格のつりあいがとれたしっかりしたキャスティングだったからだと思う。こういうまともなキャスティングでいつもやってくれるといいんだけど。その分、「寺子屋」のキャスティングがとんでもなかったですが。所作事の常磐津はいきなり調子っぱずれで歌いだされて、のけぞりました。歌舞伎座の本公演でこれって、よほど人材がいないんでしょうか。
さらに続けて観劇第4弾は、花組芝居の「仮名手本忠臣蔵」。はっきり言って寝ました。演目選びが失敗だと思う。
で、友達に会ったり、ちょこっと仕事の打ち合わせをしたり、カバイチの忘年会に出たりしてるうちに東京滞在も残り18時間ほどとなりました。また、ニューヨークに戻ると娘がとっちらかした家を見て血圧が上がるんだろうなあ。