「かもめ食堂」とYear

1/27/2010
 この2つは何の関係もありません。
 日本人の友人のおすすめ「かもめ食堂」を英語字幕付きで観ました。大ヒットした映画らしいのですが、ここまでぬるい観光映画みたいなのがどうしてそんなにヒットしたのかよくわかりません。何も始まらず、何も明かさないまんま、いつのまにかめでたしめでたしになっちゃう映画が成り立つのか?登場人物は全員が霞を食って生きているようだし。
 そこがシュールといえば言えるのかもしれないけど。まあ、気分のいいお話ではあるんですけどね。主人公はどうやってワーキングビザまたは永住権をとったんだろうか?開店資金はどっから出たのか?っていう現実的な案件ばっかり気になって夢物語にひたれない私は不幸なんだろうか。
チャールズの感想。「日本の出生率が低いのがわかるような映画だ」
 Year が言えない。私はごく最近までYear(年)とEar(耳)はスペルが違うだけで発音は同じだと信じていました。カタカナで書けば、どっちもイヤーだし。が、アメリカ人(というか英語スピーカー)にとっては全然違うということを遅まきながら最近知りました。でも、その違いが私にはわからない。L,R問題と同じで、注意深く聞けば両者は違うことがわかります。が、LとRは聞き取れないだけで、発音することは簡単なのに比べて、Yearは発音の仕方がどうしてもわからない。私が言うとどっちも耳のイヤーに聞こえるらしい。チャールズ相手に試行錯誤した結果、ギアに近く発音するとYearに聞こえるらしいということは判明しましたが、どうにも納得できない。今度はギアとの違いがわからないからです。
娘に聞いてみると、また思いもかけない事実が判明。娘は「小さい頃、お母さんのせいでYearの発音をずっと間違っていて、小学校で友達になおされた」というのです。知らなかった。元夫をはじめ、娘はアメリカ人に囲まれて育ったはずなのに、そういうこともあるんですね。恐るべし、Year。
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9 Star Hotel

 
10/26/2009
 イスラエルの若手監督が、イスラエルの建築現場に出稼ぎに来るパレスチナの違法労働者の生活を追ったドキュメンタリーです。政治情勢の悪化によりイスラエルへのパレスチナ人の出稼ぎは現在禁じられているのですが(かつては合法だった)、仕事を求めて不法入国するパレスチナの若者は後を絶ちません。パレスチナには仕事はなく、違法の出稼ぎが唯一の生きる道だからです。
 イスラエルの側にしても、アメリカの不法移民と同じで、既に労働力としてパレスチナの若者たちは欠かせない存在になってるという現状があります。お互いに深い憎悪を抱きながら抜き差しならない関係になっているという複雑な状況を見せられると、すっきり解決なんてあり得ないことがわかります。
 大変重い映画ではあるんですが、目を覆うようなやりきれなさになっていないのは、パレスチナの男たちの屈託のなさと、それでも生活を楽しんでいるたくましさにあります。
 そして、パレスチナの若い男が、すばらしい美形ぞろい。久しぶりに現場でシャワーを浴びた後に日光浴をしてるシーンなんて、そのままGQの表紙とかアバクロの広告に使えそうな男前ばっかり。この映画には男子しか出てきませんが、娘さんたちもきっと美人揃いなんでしょう。
 が、ニュースに出てくる中東のおっさんたちは二枚目とは言いがたいですから、見栄えのよい加齢というのは豊かな社会の特権なのだということがわかります。女の人も貧しい国ほど早く老けるし。
 で、そのイケメン男子たちは、ほとんど野宿に近い形で生活しながら、食事も究極のアウトドア自炊生活です。何回か食事シーンが出てくるのですが、これが必ずトマト。巨大な鍋に真っ赤なトマトをナイフでザクザク切って焚き火でガーッと煮て、パンにつけて食べる。肉体労働で蛋白質もないような食事ばっかりで大丈夫なんだろうか、とは思いますが、このトマトソースがすごく美味しそう。
 真似して作ってみました。トマトソースはいつもは缶詰のトマトで作っていて、たまに生を使うときは皮をむいて種を出して、ということをしていたのですが、パレスチナの男たちを真似て種も皮もそのまま。オリーブオイルでニンニクのみじん切りをいためたところに、ざく切りのトマトをいれて塩をふって強火で(焚き火のかわり)煮てみました。
 そしたらもう煮てる最中から、尋常じゃない香りの良さ。缶詰で作るときは少量の砂糖を加えないと酸味がシャープすぎるのですが、何にもいれなくてもまろやか。これを食べると、缶詰のトマトじゃ作れなくなっちゃうなあ、と思いますが、問題はお値段で、缶詰使用の3倍くらいになります。
 で、今日はたまたまトマトがセールだったので、パレスチナ風トマトソースを中心に、ピタブレッド、ハマス(ひよこ豆とニンニクとオリーブオイルとレモン汁をガーっとフードプロセッサーにかける)、トルコ風にんじんサラダ(ニンジンをシュレッドしてニンニクとオリーブオイルでしんなりするまでいためてグリークヨーグルトで和える。グリークヨーグルトのかわりに脱水したヨーグルトでもOK)、野菜を切らしていたので、代わりに石榴(今がシーズン)とブドウ(コンコードという今だけ出回る種のある小さなブドウで香りがいい)という地中海風ベジタリアンメニューになりました。
 名付けて「ガザめし」。おいしい焼きたてのピタブレッドがあるといくらでもいけます。

「Sicko」と「Capitalism」その2

10/21/2009
ちょっと間があいてしまいましたが、前の日記の続きなので読んでない方は前回からどうぞ。
 よく「アメリカでは何歳で免許がとれるの?」とか「離婚したときの養育費はどうなってるの?」とか聞かれますが、これはみんな州法なのでニューヨーク州でどうなってるか、としか答えようがありません。道は続いているし州境にゲートがあるわけでもないのに、州境を越えると交通法規が変わってしまい、人を殺してもある州では死刑になるけど、ある州では死刑にはならない、とかアメリカの法律はほとんどが州法なのです。ちなみ運転免許はもちろん、弁護士のライセンスも州ライセンス、医師免許も看護婦免許も州の管轄です。それぞれ条件が違います。弁護士雇って大枚はたいて遺言状を作っても、もし他州に引っ越したらその遺言は無効です。なんで、こんなのが一つの国として成り立ってるんだと思いますが、これが建国以来のやり方なので、それを変えようとは思わないらしい。
 で、その発想は国会のシステムにも現れていて、上院議員の数は各州等しく2人ずつ。各国の国連代表と同じ発想です。人口3,600万人のカリフォルニア州も人口53万人のワイオミング州も上院議員は2人ずつ。日本でも1票の重みの格差が問題になっていますが、そういう意味ではアメリカの制度は格差70倍以上というとんでもないことになっているのです。一方、下院は人口に比例して枠が決まっていますが、最低1人は出せることになっているのでカリフォルニアの53人に対してワイオミングは1人、とこれでも人口が少ない方が1票の価値は重いことになります。しかも日本の衆・参議院と異なり、上院下院にはプライオリティはないので、どんな法案も両院を通過しないかぎり成立しません。
 リベラルな大都市をかかえる州は当然人口が多く、田舎の保守的な州ほど人口が少ない(テキサスとかロードアイランドとか例外はありますが)ので、間接的に田舎の保守層(よくレッドゾーンと言われる共和党支持エリア)の発言権が圧倒的に強くなっているのです。
 その結果、全国から無作為抽出したサンプルによる調査結果と国会での成り行きの間にずれが起こります。
 が、皮肉なことに健康保険に関していえば、無保険の人の割合は保守陣営のレッドゾーンの方がニューヨークやカリフォルニアといったリベラルな地域より高いのです。公的健康保険を一番必要としているはずなのに、そこになぜか反対派が多い。どうやら大統領選の時のプラマーのジョーみたいなのがいっぱいいるらしい。
 「将来、俺が成功して年収25万ドル以上になったら税金が上がるのはいやだから高額所得者の増税反対」というあり得ないような「もし」を考えることはできるのに、それより遥かに現実性のある「もし俺が病気になって今の保険が買えなくなったら」ということが想定できないらしい。つまり金持ちの保守派は馬鹿をコントロールすることが大変うまいということのなのでしょう。
 ここまでさんざん、田舎の保守派アメリカ人を馬鹿馬鹿と言ってきましたが、実は私だってせこい既得権にしがみつく大馬鹿じゃん、と気づかされたのが「Capitalism: A Love Story」です。
 というわけで、やっとたどりついたマイケル・ムーアの新作「Capitalism: A Love Story」。日本で公開されたらぜひご覧ください。面白いです。身につまされます。
 マイケル・ムーアのお父さんはGMの社員だったそうで、GM全盛期のアメリカ人と資本主義の蜜月の様子が子供時代の思い出と重ねて語られます。私たちが子どもの頃テレビで見たアメリカ、遠くから想像してた豊かなアメリカそのものです。労働時間は短く、お父さんは夕食には帰ってきて、有給休暇は何週間もあり、定年後の年金だって心配いらない。高度成長期の日本だって景気はよかったはずですが、そこにはエコノミークラスとファーストクラスくらいの差がありますから、それだけアメリカ人に資本主義への深い愛着が育ったとしても不思議はありません。ちなみに、現在のアメリカは私たちが子どもの頃に想像していたアメリカとは大違いです。労働時間は世界一長く、有給休暇はほとんどなく(祭日も全国のオフィスが閉まるのは年間4日くらいしかない)、公的健康保険もペンションもない。保育園も保健所もない。雇用の保証はもとよりない。
 アメリカの資本主義は大勢の人のまともな生活を支える手段としては、とっくに破綻していたのです。が、まるで各州が独立国みたいなアメリカが一致団結できるのが、資本主義命の精神らしく、アメリカでは往々にして資本主義は民主主義の同意語みたいに語られます。なにしろ社会主義といえば、かつての宿敵ソ連です。管理は社会主義の始まりだ。資本主義は管理なんかされちゃいけないのだ。というわけで無法地帯の大博打場はどんどん膨れ上がり、大破綻となったわけです。
 で、まだ記憶に新しい市場大暴落、金融機関のベイルアウトに巨額の税金がつぎこまれたわけですが、マイケル・ムーアの映画では、そのとき反対し続けた上院議員にインタビューしています。親玉のポールソンをはじめ、当時の政府の担当者は軒並み某大手銀行出身者で、ベイルアウトの法案が提出されたのが選挙の直前。すべてに関してあやしすぎるというのです。選挙を控えて、どの議員も反対するのにおよび腰になる、だいたいがわけがわからない、というわけです。
 下院でベイルアウトが否決されたために株価が大暴落した日(その後可決されたのはご存知の通り)、私はベイルアウトは通すべきものだと思っていました。いたずらに否決して株価を下げたことに怒っていました。が、実はベイルアウトがどういうものなのか、なぜそれが必要なのかなんてわかっちゃいなかったのです。
 金融機関が破綻すれば、株価が下がる、そうなれば既に下がりまくっている私のリタイアメントファンドもさらに下がる、という脅しによって私はベイルアウトを支持しました。選挙権もない私が支持しようがしまいが世の中に影響はありませんが、ささやかな既得権をかたに脅されることでわけもわからず支持したという馬鹿さ加減は、クズみたいな既得権にしがみついて健康保険改革案に反対する人たちとまったく変わりません。私も無知であることを利用されていた一人だったのです。
 あの時ベイルアウトが行われなかったらどうなったのか、はわかりません。が、少なくとも今年の暮れの大手金融機関のトップのボーナスはまた景気がいいらしいです。
 「Capitalism」の中で、マイケル・ムーアはウォール街で働いている人をつかえて質問します。「デリバティブって何?」答えは複雑すぎて、うまく説明できない。そこがポイントなんだ、とそのトレーダーは言います。難しすぎて誰もよくわかんないから、文句もつけられない、政府も「よきにはからえ」ってことになる。そのために複雑なシステムの金融商品を作り出しているのだ、と。
 自嘲的に語っている面はあるにせよ、核心をついています。わかんないのは「デリバティブ」だけではありません。私はミューチュアルファンドだって債券だってぜーんぜんわかっちゃいません。複雑すぎてわかんないから検討放棄してみんながやってることをやった。だってリタイアメントファンドを普通預金にする人なんていないもん。
 馬鹿は私だったわけです。
 いわゆるファイナンシアルアドバイザーという人たちは、このごに及んでも、知識をつけろとか賢い投資だの賢い消費だのと言っていますが、たぶんもっと重要なのは、いらん知識に惑わされるな、わからんものには手を出すな、です。
 お金はひとりでに増えてくれるようにするのが賢いやり方だ、という「金持ち父さん」は間違っています。でも、まじめに働いていれば老後の心配や健康保険の心配がない社会がないかぎり、不安が人を貪欲にします。
 身体さえ健康ならば、そんなにこわいものはありません。働くのはいやじゃない。でも、せめて健康保険だけはなんとかしてくれないと、この国では暮らせない、としみじみ思います。
 

「Sicko」と「Capitalism」その1

10/18/2009
実は映画の話より、映画のテーマにまつわる長~いお話になってしまいました。
 健康保険改革はオバマ政権の目玉の一つだったはずなのですが、薬屋、保険屋のロビー活動と共和党の政治パワーゲームのおかげで、改革案は廃案の危機。二転三転した挙句に、公的保険なしの骨抜き案となって火曜日にやっと上院のコミッティーの一つを通過しました。万が一、法案が通ったとしても、アメリカに公的保険(国民健康保険)が生まれる日は当分来ないでしょう。
 この日記でも何度も言ってるように、アメリカにはまともな健康保険がない。65歳以上対象のメディケアと貧困層のためのメディケイド以外には保険会社が営利目的で運営してるものしかありません。健康保険に関する法規は州によってまちまちなのですが、ともかく民間会社なので儲からないことはしない。つまり、持病があれば掛け金が高くなり、保険に入っていても手術や入院といった高額医療費になると、払う払わないで必ずもめる。アメリカで重病になったら、まず闘う相手は病気じゃなくて保険会社なのです(保険会社の支払い許可がおりなければ手術もしてもらえない)。掛け金の高さだって、最低限の保険(歯科や処方薬はいっさいカバーなし)がお一人様の月額400ドル以上。当然、保険の買えない人がごまんといます。
 当然のことながら選挙時には健康保険改革を望む声は圧倒的な多数でした。が、蓋を開けてみたら、オバマ案には反対続出。どうも国家による保険制度というと、社会主義だ、社会主義だと、鬼の首とったように騒ぐやつが必ずいる。じゃあ、学校制度はどうなんだよ、軍隊はどうなんだよ、全部パブリックだろうがっ、と言いたくなりますが、公的保険なんかができたら、民間の保険会社は競争できないからフェアじゃないそうです。だから何なんだよ。タバコ会社がつぶれちゃかわいそうだから禁煙運動をやめましょうとは誰もいわないのに。
 アメリカの医療制度の一番の元凶となっているのは資本主義原理主義です。医療制度だけでなく、いろんなところで今のアメリカをダメにしてるのは、アメリカ人が深く資本主義原理主義に洗脳されていることにつきると思います。
 マイケル・ムーアの「Sicko」に続く新作が「Capitalism」だったのは、その点でまことに我が意を得たりという感じでした。映画としての「Sicko」は、特にキューバの件なんかサーカズム(やらせっぽさ)が鼻につきますが、アメリカの健康保険はたとえ持っていたとしてもまったく安心できない、という恐ろしさはしみじみとわかります。そもそも健康保険なんて営利目的とは相容れないものなのです。
 健康保険改革についての演説でオバマも、保険がおりないために手遅れになって死ぬ人がどれだけいるかという話をした後に、それは別に保険会社の人間が悪者なわけではなく、そこに利益があるからだ、と言っていましたが、まさにそこなのです。が、これが資本主義原理主義者には許せないわけです。
 なぜ許せないか、というと原理主義者は資本主義原理主義による既得権を享受しているから。既得権を持つ人がそれにしがみつくのは常です。それをひっぺがさなければ、世の中は変わらないわけですが、この既得権を持つ人たちは、ずっとささやかな既得権を持つ人の既得権が危ないぞ、と脅す手口に出ました。その相手は、一応は現在保険を持ってる人とメディケアの恩恵を受けてる年寄り。
 改革によって今の保険はキープできなくなる、医者が選べなくなる、掛け金があがる、メディケアの予算が減る、とまあ次から次へと。あなたの健康保険を守るために政府に反対の署名を行おう、と客によびかける保険会社まで出てくる始末です。圧巻はdeath panelというデマで、オバマ案には「生かす患者と見捨てる患者」を決める委員会がある、というものです。もう聞いただけで都市伝説なみにあやしい、こんなバッタもんが本気で議論されること自体信じられませんが、これがしばらく大変な騒ぎでした。ここで一役買ってるのがあのサラ・ペイリンで、オバマ案が通ったらダウン症の息子はdeath panelによって殺されるとぶちあげました。(この人は自分が終わった存在であることをまだ理解してなくて、とにかく話題になりたいらしい。思えばマケインも罪なことをしたもんだ)。
 まあ、とにもかくにも大きな既得権を持つ人たちが自分の利権を守るために、小さな既得権保持者(実はその既得権なんてクズみたいなものなんですが)を脅す戦法にまんまとはまり、アメリカの国民健康保険は消えました(理論的には消えてないけど実際にはまずよみがえらない)。
 メディケアは別として、現在、一応は健康保険が買えている人たちがどうしてそれに固執しようとするかといえば、他を知らないからです。America is No1という信念ゆえにアメリカの医療制度が先進国の中で格段に劣っているということが受け入れられない。「Sicko」はそういう人にこそ観てほしい映画なんですが、そういう人はきっと観ない。
 他の国との比較という意味では、「Sicko」より面白かったのは、ジャーナリストのT.R.Reidが先進国5カ国の医療体制を取材したレポートです。
ここで見られます。
http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/video/flv/generic.html?s=frol02p101&continuous=1
日本も入っていて、日本の医療制度や健康保険制度がとても優れているように見えます。日本だって内側から見れば問題山積でしょうが、ともかく病気になったりケガをしたらアメリカにいるより日本にいるほうが安心なのは確実です。
 「医療費がかさんで破産する人って日本にはいるんですか」と聞かれた日本の医者の反応は「?」。「聞いたことないですけど?(なんで医療費で破産するんや?)」。そう、いまどきの日本じゃあり得ませんが、アメリカでは個人破産の相当な割合が医療費によるものなのです。その辺は「Sicko」を観るとよくわかります。
 ごく最近まで国民健康保険制度がなかったという台湾も取材されていて、台湾政府の担当者は先進各国の制度を研究していいところを集めて作ったと自慢していました。「アメリカのシステムも研究したのか」というレポーターの問いに「いやあ、そりゃ見たけど、アメリカの場合はシステムっていうか、ほっといたらこうなったっていう形で」と言っていたのが笑えました。
 で、もう一つ、スイスも国民健康保険ができてまだ10年。作る時には賛否両論で、最終的には国民投票を行って数パーセントの僅差で可決されたのだそうです。今では国民の大方が国民健康保険制度を支持してるそうです。
 じゃあ、アメリカだって国民投票で決めてくれればいいのに、と思うのですが、そういう制度はないらしい。ニューヨークタイムズその他の調査では、オバマの公的健康保険への支持は過半数を超えているのです。それなのに、なぜ可決することができないのか?その原因は、たぶんアメリカが一つの国であることを拒んでいる国だという点にあります。
そこがまた、資本主義への異常なまでの偏愛と一致するのですが、長くなるので(もう充分長いけど)それは次項に。

日本映画中心にいろいろ

10/13/2009
9月に入ってから仕事がとんでもなくたてこんでいて、なにもかもほったらかし。
とはいいながら、ぼちぼちとDVDとか観たりしてます。忙しい時にリラックスするには、やっぱり日本語じゃなくちゃね(英語の映画はそれなりの集中力がいるので「観たい」というモチベーションがないと観られない)、というわけでNetflixにある日本映画をかたっぱしから。チャールズの日本学習という目的もあるんですが、なにしろNetflixの日本映画のコレクションが奇妙なので、チャールズの日本観はかなり不思議なものになっているかも。

9月に入ってから観たDVDは、日本映画が「狂った果実」「関東無宿」「女が階段を登る時」「失楽園」、日米合作(日本未公開だそうで)「Mishima: A Life In Four Chapters」、アメリカ映画が「To Have and Have Not」(邦題『脱出』)と「Sicko」、久しぶりに映画館で観たのが「Capitalism: A Love Story」。

「狂った果実」はいわずと知れた石原裕次郎主演、石原慎太郎原作。日本映画の傑作ってことになってますが、Women Haterの映画だなあ、というのが一番の印象です。慎太郎のゆがんだ女性観がよくわかります。女が重要な役割を担っていながら女が存在していない。この人は女は馬鹿と娼婦(ステレオタイプな意味での)しかいないと思ってんだろうなあ。まあ、当時の風俗はそれなりに面白いです。で、若き岡田真澄の美しさにびっくり。誰だかわかりませんでした。この映画でデビューした津川雅彦は年とってからの方がいい男です。この映画が好きになれないのは石原裕次郎のどこがいいのかさっぱりわからない、というのも一因です。どうしてこの人がスターなのかどうしても理解できない。いい男の定義なんて人それぞれに決まってますが、私には石原裕次郎は、「一般的にいい男だとされている男」の中で、どこに魅力があるのかまったくわからないという点でダントツです。

わからないといえば、裕次郎ほどではないけど、わかんないのがハンフリー・ボガート。「To Have and Have Not」はローレン・バコールと共演している古い映画です。世界のいい男の代表みたいに言われてるので、ちゃんと観れば魅力的なのかも、と思って古い映画を観てみたわけですが、やっぱり全然いい男に見えない。私の好みがよほど変なんでしょうか。

「女が階段を登る時」は成瀬巳喜男監督・高峰秀子主演の1960年の映画。銀座のバーの雇われママとその周辺のお話。高峰秀子が監修していたという衣装がとてもいい。当時の銀座のママが住むおしゃれなアパートとか、風俗も面白い。が、アメリカ人チャールズには銀座のバーのシステムってものは、いくら説明しても理解できません。いったい何をしてもらうためにそんな大金払うんだ?というところが。芸者遊びの時代から続いた女遊びの料金システムってのはまさに日本の文化なんだなと思います。現代のニューヨークにだって日本人駐在員相手のピアノバーがいっぱいあるくらいなんだから。あらゆる商品が実質本位、価格訴求になっていく中で、減ったとはいえ生き残ってるんですからね、現代の日本で。

「関東無宿」は鈴木清順監督・小林旭主演のやくざ映画。小林旭の着流しで日本刀を振り回す古典的なヤクザスタイルがいけてます(いい男です)。ばりばりにヤクザ映画なんですが、色使いとかまるで舞台みたいなカットとか鈴木清順らしさが随所に出てきます。が、濡れ場とか立ち回りとかは、プリズンホテルか、ごくせんかみたいなジョークに見えちゃいます。

「失楽園」は、この中では一番新しいとはいえ、映画公開から既に10年以上たっています。流行語だったのが昨日のことのように思えますが。主人公が第一線をはずされて閑職にいるというのが始まりなんですが、「窓際族」なんてものがあった呑気な時代だったんですね。今時なら、クビ、倒産、失業確実です。そもそも原作からしてストーリーや結末に説得性なんてみじんもなく、飲み食い、旅行、濡れ場が売りの映画のはずなんですが、かなり重要なはずの食べるシーンがよくない。鴨とクレソンの鍋という、品目としては美味しそうな料理が繰り返し出てくるのですが、これがすごく不味そう。これをまた黒木瞳が「やっぱり二人でいただくと美味しいわ」とか言いながらすごく不味そうに食べる。ここまで不味そうに物を食べる女優ってのもめずらしいぞ。「ただの食べて、やりまくる映画にはしたくない」という監督の思い入れでもあるんでしょうか。だったら、はずれてます。よけいすべてが嘘くさく下手くさくなってるだけです。
でも、クレソンと鴨の鍋は美味しそうだから、いつかやってみたいです。この鴨鍋に合わせてるのが赤ワインだってところがまた90年代です。今なら吟醸酒だよね。

「Mishima: A Life In Four Chapters」は80年代の映画で日米合作なんですが、三島由紀夫未亡人の抗議により日本で公開できなかった作品だそうです。監督は「タクシードライバー」の脚本家のポール・シュレイダー。三島の生い立ちに『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』の3作を入れ込む形になっています。劇中劇のように挿入される三作のミニマリストの舞台風のセットがなんかなあ、ですが、キャストが面白い。三島役に緒方拳、『金閣寺』に八十助(現三津五郎)と老師役に笠智衆がちょこっと、『鏡子の家』はジュリーに李礼仙。作品としては、作りすぎで駄作と思いますが、個々の演技は面白かったです。80年代だから沢田研ニも今よりは若かったはずですが、今時の若者と比べるとプロポーションが頭でっかちなのが意外でした。この20年で日本人の体型ってずいぶん変わってるんですね。

マイケル・ムーアの「Sicko」と「Capitalism: A Love Story」については、映画を離れて言いたいことが山ほどあるので別項で。

昨日のご飯と不思議なドイツ映画

 
7/3/2009
  2つに何の関連性もありません。
  たまたまご飯の写真を撮ったので。
  スパゲティミートソースと野菜のガーリックソテー(プチトマト、赤と黄ピーマン、スナップえんどう)。ガーリックの薄切りとオリーブオイルと塩少々で野菜をじかにいためるだけ。色がきれいで簡単で、しかも美味しいので最近頻繁に登場します。
  ドイツ映画は原題「桜-花見 (Kirschblüte – Hanami)」、英語の題名は「cherry blossom」。
ドイツの平凡な老夫婦の妻が夫が癌であることを知り(本人には知らされていない)独立した子供たちを訪ねる旅に出るが、その途中で妻の方が急死してしまう。残された夫は、いつか日本で舞踏を学びたいと言っていた亡き妻を求めて日本に行き、若い舞踏ダンサーの日本人と出会い、と、あらすじを聞くとトンデモ作品のようですが、なかなかしみじみとさせるいい映画でした。
  前半はあからさまに小津の東京物語のドイツ版。で、まあその後の話が中心なわけです。一般受けする映画ではありませんが、この舞踏っていうのが日本人にはとくに抵抗があるかも。が、その奇妙さがまた不思議な味を出していて、「ありえないだろう」というストーリーなんですが、妙にリアリティがあります。
  Netflixで無料の日本関連映画だっていうだけで、まったく期待せずに、っていうか「トンデモ」映画かもという偏見をもって望んだ映画ですが、思いがけなくおもしろい映画でした。
グーグルで検索しても邦題も出てこないし、ドイツ在住日本人のレビューしかあがってこないので公開されないのかも。

DVD2本

6/29/2009
「スラムドッグ・ミリオネア」
アカデミー賞を受賞してからすぐにDVD化されましたが、Netflexでの待ち時間が長くオーダーしてから数ヶ月。その間、きいた評判はどれも芳しからず観る気を失いかけていたところに届きました。で、評判通り「期待はずれ」。っていうか、B級映画としても、優れているとはいえない映画です。こういう映画にアカデミー賞はいくらなんでも。先に観た娘が「unrealistic」といっていましたが、まさにその通りでストーリーに全然説得力がない。IT新興国として発展著しいインドの貧乏な面がドキュメンタリーほどリアルでも重くもなく観られますっていうだけのことです。でもそれが、すごく現実味がない。トリビアクイズどころか文盲率が4割近いインドで、スラム育ちのみなし子がどうやって読み書きを覚えるんだ?
ひっくりかえりそうになったのは、最後のタイトルで突然出演者全員が踊り出したところ。ストーリーとも映画のムードとも何の関係もない、すっげえださいダンスを突然みんなで踊り出す。最後に総踊りっていうのはボリウッド映画のお約束かなんかなんでしょうか。
「潜水服は蝶の夢を見る」
すごくいいから絶対観て、と娘の強力な推薦があった映画です。Netflexのインスタント(無料のネットストリーム)にあったので見てみました。
たぶん良い映画なんだと思う。少なくとも「スラムドッグ・ミリオネア」とは別格の映画です。が、このたぶんっていうのは吹き替え版を見てしまったから。しかも半分ちかくまで吹き替えであることに気がつかずいらついていたという間抜けさ。
まさか吹き替え版があるとは思っていなかった上、映画そのものが全身麻痺の主人公の視点で進んでいく映画であったので、台詞の大半が主人公の心の声になっているので映像と重ならないためによけいわからなかったのです。最初はフランス人の主人公がなんらかの理由でイギリスの病院にでも搬送されたのかと思いました。が、それにしては全員の英語が著しくフランス語訛りだ。ひょっとして英語で歌をつくったABBAみたいにアメリカ市場を狙って英語で作ったのか?とも一瞬思いましたが、いくらなんでもフランス映画でそれはありえそうもありません。なんで、なんで、と思いながら、やっと気づいたのが回想シーンがたくさん出てくる真ん中あたりだったというわけです。娘に「あの映画、英語だった?」と聞いたところ「フランス語に英語字幕に決まってんじゃん」という返事。
なんとNetflexのインスタント版には吹き替え版しかなく字幕という選択肢はなかったのです。もともとマイナーな日本映画とかなら吹き替え版なんてそもそも作られませんが、この映画はアメリカでもそこそこに興行的成功を収めたのが不運だった。
「朗読者」みたいにヨーロッパが舞台なのに英語で作ってるアメリカ映画というのは観たことがありますが、英語吹き替えのヨーロッパ映画というのは始めてみました。自分の間抜けさを弁護するわけじゃありませんが、同じラテン系の言語であるせいか、口の動きがかなりうまくマッチしてます。まあ、吹き替えとしてはうまくできていました。が、あのわざとらしいまでの全員のフランス語訛りはなんだ?
日本でもテレビ放映される映画は吹き替えですが、アメリカ映画が外人訛りの日本語になるなんて考えられません。アメリカの声優にとっては、映画のオリジナル言語に合わせてアクセントを使い分けるというのも必要なスキルの一つなんだろうか。それにしても選択肢がないならなぜ字幕版だけにしてくれないのか。いくら字幕嫌いのアメリカ人でもヨーロッパ映画を観るようなアメリカ人は吹き替えより字幕を好むんじゃないかと思うんですが。
チャールズも吹き替えよりも字幕がいいと言っていましたが、吹き替えに私のような強烈な違和感を感じることはないようです。なぜ字幕の方がいいかというと、声優はオリジナルの俳優よりぐっと格落ちに決まってるから、損したような気がするからだそうです。