Every Little StepとDVD

5/13/2009
久しぶりにDVDじゃなく、映画館で映画「Every Little Step」を観ました。去年ブロードウエイで開演したコーラスラインのリバイバル版のオーディションのドキュメンタリーです。とても面白かった。アメリカでもごく限られた映画館での上映なので日本に行くかどうかはわかりませんが、雰囲気としては日本受けしそうなので、もし上映されたらおすすめです。
そもそもコーラスライン自体がオーディションをテーマにした作品なわけで、その作品のオーディションのドキュメンタリーという、たまねぎ構造の映画です。さらにそこに70年代のオリジナル版の制作エピソードが録音テープやフィルム、当時の関係者へのインタビューでコラージュのように入れ込まれています。80年代に公開された映画版「コーラスライン」より100倍面白いです。
それにしても、コーラスラインというのは名曲揃いのミュージカルだなあ、しみじみ思いました。
ついでにここ1ヶ月で観たDVDいろいろ。
The Wrestler(レスラー)
自分から観ようとはまず思わない映画ですが、たまたま遊びに行った家で観て、他人の好みで選んだ映画も観てみるもんだと思いました(楽しめました)。ミッキー・ルークがとってもいい。日本の80年代にインテリ男たちのプロレスブームみたいなのがありましたが、それに通じる視線でプロレス業界を描いています。
でも、テーマがプロレスですから、お札をホチキスで顔にとめちゃったり、フィジカルな意味で痛い場面がいっぱい。男の子っていうのはどうしてこう破壊的行為が好きなのか。
ストリッパー役のメリッサ・トーメイのスタイルの良さにもびっくり。ふつうは服を着てるほうが歳はごまかせるものですが、裸(に近い)のほうが若く見える!
Doubt(ダウトーあるカトリック学校でー)
マンマ・ミアとはうってかわって、メリル・ストリープが絶好調。フィリップ・シーモア・ホフマンもぴったり。ある意味、予想通りに演技派の芝居を楽しめます、という感じの映画ですが、結論をオープンエンドにしてる作品なので後味は良くないです。この後味の悪さというのは、もう一つ、ペディファイル(未成年愛好者)=ゲイ男性というステレオタイプの設定も要因だと思います。それに、カトリック司祭による少年への性的虐待がさんざん告発された後の現代ならいざ知らず、果たして60年代のアメリカ(この映画の舞台)で、こんなに簡単にカトリック司祭―ゲイーぺディファイルっていう疑いが出てきたもんだろうか。
「早春」と「東京物語」
有名な小津安二郎作品2本。なぜ観たのかというと単にNelflex(アメリカのDVDレンタルサービス)にあったから。正直言って私には小津作品がなぜそんなにもてはやされるのかよくわかりません。大半の出演者の台詞が棒読み(ていうか自然な言い方をしようと思って雑な早口になっちゃう学芸会的しゃべり方)に聞こえて居心地悪いし。ただ、私が生まれた頃の日本はこんなだったのかという不思議なノスタルジアは感じます。それにしても、あの頃の日本人は本当にああいう言葉をしゃべっていたのでしょうかね、それとも小津独特なのか。特に女の人の台詞。たとえば「ちょいと、いってくるわね」の「ちょいと」なんてすごく違和感がある。ある意味、現代のアメリカ映画を観るより異国情緒が味わえます。
で、本当の異国情緒鑑賞となっていたチャールズ(『ジャッキー・チェンて日本人だよね』と言ってたくらい日本についての知識はない)の驚きどころとつっこみどころはというと、
(早春に出てくるバーでオーナーの住居スペースと思われる部屋に靴をぬいであがるところで)「今、どうして高いとこに上がったの?」
説明すると、
「じゃあ、日本の家はみんなそうなの?君の日本の家もああいう風に入り口にステップがあるの?」
そんなに驚くようなことか?
(早春の夫が帰宅して妻と話しながら洋服ダンスの前でシャツを脱ぐところで)
「今、奥さんの目の前で床にシャツを落としたのは、あれは奥さんが拾ってくれるのを期待してるの?(日本ではあれが普通なのか?)」
いやいや、これは50年も前の話ですからね、今時こんなことする男はいません!それを黙って拾って片付けるような女もいません!ぜったいに。
(早春の会社の若い男女が集まっているシーンで)
「こんなにきれいな女の人がいるのに、男が10人もいて、誰も手を出さないのか?不自然じゃないのか?アメリカ映画だったら10人中、2,3人は熱心に女に言い寄る男がいるのが普通の設定だ」
日本じゃ昔っから草食男子が普通だったのかもなあ。
The Reader(愛を読むひと)
日本でもベストセラーになった「朗読者」の映画化ですが、毎度のこととはいえ邦題がすごいですね。日本でも公開されてるかどうか見てみましょう、とグーグルしたら「愛を読むひと」だと。ベストセラーのタイトルが思いっきり無視されてるのは、ベストセラーとはいえ読書人口というのはマイノリティだからってことなんでしょうかね。
で、この映画そのものもつっこみどころ満載で。まず、アメリカ映画なんです、てことは英語なんですよ、英語。アメリカ人のマジョリティは字幕が大嫌い。だから外国映画の観客動員数はハリウッド映画に比べると極端に少ないし、公開される外国映画も日本に比べたら極端に少ない。で、観客動員のために、ハリウッド映画はどこの話であろうと英語になってしまうわけです。
The Readerは言うまでもなくドイツの話です。ストーリー上舞台はドイツ以外には動かせない。ロケもドイツで行ったと思われます。が、ドイツの法廷シーンも、ドイツの家庭もともかくぜーんぶ英語。これってものすごく違和感があります。「なにかドイツ語の本はないの?」といわれて「あるよ」といって読み出すのが英語なんだから。しかも、この手のアメリカ映画の英語って微妙なアクセントをつけてたりするんです。この映画の場合だと、すごく英語がうまいドイツ人程度のドイツ訛り。せめていさぎよくアメリカ英語にしろと言いたい。
アメリカ人チャールズは外国(英語圏以外)が舞台の映画やテレビドラマの台詞が英語でも全然気にならないと言っていましたから、そういうもんだと思えばそういうものなんでしょう。日本の新劇だって宝塚だって、まるっきりの東洋人がブランチだったりオスカルだったりして(しかも髪だけ赤毛にしちゃったり)、思いっきり日本語を話していてもそれを何とも思わないわけだし。
ここから先ネタばれですからこれから読むまた観る人は、ここから先はそのおつもりでお読みください。この映画(原作も)は一言のキーワードでわかっちゃう話ですから。
ストーリーとしても、納得のいかないことだらけ。これは映画にかぎったことじゃなくて原作がそもそも?なわけですが、それでも原作はそれなりに面白く読めます。それが映像になると、その不自然な設定が際立ってきて、ますます納得いかない。まず主人公が何をためらってるのか全くわからない。お前が行動しさえすればいいのに、何やってんだコイツとしか思えない。よって腰抜け男にイライラさせられ続けるお話となるわけです。わけのわかんないことでウジウジしてる男の話っていうは日本の小説のお家芸でもあるし、小説で読んでるぶんには違和感がそんなにないんですけどね。
で、さらに納得いかないのは物語の核となるハナの存在。彼女は文盲であることを隠しており、世界の名作文学の数々を読んでもらうということになってます。つまり識字能力のみが欠けているが実は教養ある女性、という無理な存在なんです。ホメロスの「オデッセイ」に感動する文盲なんて実際に存在し得るもんなんでしょうか。識字能力なくして世界の名作文学を耳で聞いて理解するだけの語彙力をもつというのはどう考えても不自然です。
もひとつ嫌なのがホロコーストと生き残ったユダヤ人の話が原作以上に大きく膨らんでいること。これもハリウッド映画らしい嫌らしさです。これはそこがポイントの話じゃないのに。
この映画ってドイツでも公開されるんだろうか。ドイツの作家のドイツを舞台にした世界的ベストセラーが原作で、出演者が全員ドイツ語訛りの英語をしゃべってる映画っていうのはドイツで受け入れられるものなんでしょうか。興味のあるところです。「サユリ」の監督は「これは日本という特定の国には設定していない」と言い張ってましたが、この映画はそういうわけにはいかないしねえ。
 
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投稿者: motokokuroda

アメリカ生活も四半世紀を超えました。お料理から政治まで、興味のおもむくままに。

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