ベティ・フリーダン

ベティ・フリーダンが死にました。テレビのニュースを聞いて、初めて気がついたんですが、ベティ・フリーダンじゃなくて、ベティ・フリダーンなんですね。スペル(Friedan)から推測すると、たしかにフリーダンと読みたくなるんですが、どのニュースもはっきりとフリダーン(ダーにアクセント)と発音していました。今回初めて気がついたっていうことは、これまでこの人の名前をテレビや人の話で耳にすることがほとんどなかったっていうことで、「え、まだいたの?」という位置づけです。
数日前にキング牧師の未亡人も死んで、新聞には、キング未亡人が女性として初めて州葬になって、大統領も出席するという記事とベティ・フリーダンの死亡記事が並んでいました。ベティ・フリーダンの死亡記事の扱いもそれなりに大きいものでしたが(アメリカ現代史の重要人物の1人ではありますから)、州葬になることもメジャーな政治家が葬儀に出席なんていうこともないでしょう。同じ過去の人でも政治的価値のある人と、ない人の差がよくわかります。女の価値と人生は夫次第という昔ながらの図式がそのまんま感じられる皮肉なタイミングです。
ベティ・フリーダンは、最近(ここ二十年くらい)、フェミニズムの世界でも批判の対象になることの方が多かったし、確かに過去の人には違いないでしょうが、本人が歴史に残る活動をしたわけです。でも、それより偉大な夫を持つ方が勝ちってことですね。
死亡記事には「アメリカの価値観の転換のきっかけをつくった」とありますが、彼女が批判していたアメリカ郊外の主婦の暮らしは本質的には今もまったく変わっちゃいません。アメリカ郊外の学校やお稽古事、スポーツ、その他もろもろのシステムは、すべてフルタイムのお母さん(または住み込みのナニー)がいるということを前提に成り立っています。まあ、変わったといえば、クラスに1人くらいはフルタイムのお母さんじゃなくてフルタイムのお父さんがいるっていうことくらいでしょうか。アメリカのポリティックに男女の機会均等という基準が根付いたということはあるでしょうが、いくら均等に雇用チャンスがあったって、子供は誰が面倒みるんだ?ということになれば無意味です。健康保険すら自前でどうぞ、というセルフヘルプの国ですから、子育てに公費を投入するなんていう考えはまず生まれないでしょう。アメリカのフェミニズムの未来は暗い。
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投稿者: motokokuroda

アメリカ生活も四半世紀を超えました。お料理から政治まで、興味のおもむくままに。

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